三國正樹 『読書記録』

今までに読んだ本の記録です。

これ、いったいどうやったら売れるんですか? 身近な疑問からはじめるマーケティング

著者:永井孝尚      発行所:SBクリエイティグ株式会社

読書年月:2017年8月

印象に残った言葉: 高い買い物をした後、広告が気になるのには、実は理由がある。「本当に買ってよかったのか?」高い買い物をした人ほど、内心、そんな不安を抱えているのだ。

・・・マーケティング理論について知ることができた一冊です。私の仕事とは直接関係がありませんが、世の中がどう動いているのかを知るのは楽しいことです。たしかに「売った後のフォローがとても大切」とありましたがその通りだと思います。

・・・ピアノも全く同様で、いくら素晴らしい楽器を新品で買っても、その後の調律でひどい楽器になったりすることがあります。調律師との出会いは大切だと思います。

・・・ところでそのピアノ調律師関係の漫画があり、一時読んでいましたが、巻が進むとけっこうグロテスクだったり残酷だったりする描写があり、以前読んでいたものも含めて全部処分してしまいました。音楽芸術にはやはりそういう描写は似つかわしくないものだと思います。別にきれいであれば良いとも思いませんが、私の仕事柄絶対に見たくない描写がそこにはあったので。こういうことも世の中にはあります。

大作曲家・人と作品 ドビュッシー

著者:平島三郎    発行所:音楽之友社

読書年:1983年

印象に残った言葉:マルモンテルのピアノの教室で第一等賞こそとりそこねたけれども、ピアノをよく弾いたドビュッシーであったのに、Ⅰ、Ⅱの初期にあって、歌曲ほど個性的な作品が出ていないのは、不思議といえば不思議だ。Ⅱにおいてさえ、その時期の現存する唯一のピアノ曲集≪ピアノのために≫は、十分個性的というべくいささか躊躇されるものを、感じさせる。

・・・ドイツ、ロシア関係の音楽について楽譜の研究を行ってきた私ですが、ドビュッシーラヴェルについては「研究」対象とはあまり意識していませんでした。それを反省し、この夏休みにまずはドビュッシーの初期ピアノ作品を勉強し直しています。

・・・以前は安川加寿子版(音楽之友社)で全集を所有、必要なものについてはデュラン版、ジョベール版を参照していました。先日、ヘンレ版の全集およびウィーン原典版、中井正子版(株式会社ショパン)を購入、今まで疑問だった箇所について検討を行っていますが、いろいろな発見があり、楽しい毎日です。

・・・フランス音楽は、ラモー、サン=サーンスフォーレ、セヴラック、タイユフェール、プーランク等の作品も何回か演奏しました。ラヴェル作品の公開演奏は「夜のガスパール」「ハイドンの名によるメヌエット」くらいなので、かつて勉強した「クープランの墓」も再度勉強し直す予定です。歌曲伴奏でデュパルクを演奏した時のことも忘れられません。いつかフランス音楽のみでプログラムを考えられたら楽しいだろうなと思っています。

 

2018年問題と これからの音楽教育

著者:久保田慶一      発行所:株式会社ヤマハミュージックメディア

読書年月:2017年7月

印象に残った言葉:もう、おわかりですね。音楽大学を卒業したことは、プロフェッションの基礎資格を得たということです。いまは何らかの理由で、音楽から遠ざかっている人は、ぜひプロフェッションとしての音楽活動を再開してほしいと思います。休日には地域で何らかの音楽活動を始めてみてはどうでしょうか?

・・・教員養成大学と音楽大学の両方で学生の指導をされてきた著者。とくに前半に書かれている教員養成大学の現状は大変参考になりました。

・・・音楽のプロとは何か。音楽大学出身の私としては長年の疑問の一つです。「ワンコインコンサート」等の問題について指摘されていましたが、かと言ってチケット料金を高く設定しても肝心の聴衆が集まらなくては音楽会が成立しない。CDから音楽配信型に変化している現代において、音楽家の数は大して必要ないのかもしれない、という疑問は常にあります。

・・・地域での音楽活動ということについては考えられると思っています。ただ何が必要かというと地元で演奏会を開けばよいというものでもないし、現在考慮しているところです。

日本語のために

著者: 丸谷才一      発行所:新潮社

読書年: 1985年

印象に残った言葉:言葉と文字とは、本体、文明の伝統に属してゐる。だから歴史の厚みを存分に受けとめたかたちで、自在に伸びちぢみしながら、今日の実用に役立つことができるのである。ところが一片の法令で漢字と仮名づかひがたちどころに改変されるのを見れば、教員も父兄もすつかり自信を失ひ、言葉と文字の約束事を文明の伝統そのものに訊ねることができなくなつてしまつたとしても、あながち咎めるわけにはゆかないだらう。

・・・ワードプロセッサーでだれもが文書を作成するようになった現在、私の名前「三國」も旧字で表記してほとんど問題は起こりませんし、「澤田さん」「大澤さん」などの表記はむしろ旧字の方が自然に思える時代になって来ました。いわゆる「はしご高」などの漢字も「髙」というように表記できます(パソコンによっては表示されないかも(?)。「﨑」なども同様ですね。

・・・今はどうかよくわかりませんが以前TVで「モーツァルトの情ちょ」と表示されているのを見て笑ってしまいました。「なさけちょ、っていったい何のこと?」「僧りょ」もひどいものです。そのくらいの漢字、読めるし書けるんですが。

・・・最近気になるのは外来語の表記について。「リハビリテイション」など一般的になってきている現在、「長音は、原則として長音符号「ー」を用いて書く」が強力に残っているようですが、何とかならないものかと思っています。私の友人でも「メイル送りますね」などと書く人がいますし、「Make → メイク」など、発音に近い表記が一般的になって来ているように思うのですがいかがでしょう。「most モウスト?」しかし無声音の表記はどうするのか。それに発音に忠実と言っても「テーブル」は「テイブォ」と書くのかという問題(「アンビリーバボー」は定着してきた)。なかなかカタカナ語は難しいものですね。昔「シンコペイション」と書いたら出版社に「シンコペーション」にしてください!と直されたことを思い出します。表記はそこまでして一律に揃えなければならないものなのでしょうかねぇ。日本人の発音下手はこの辺に原因がありそうで、考えてしまいます。

街場の五輪論

著者:内田樹小田嶋隆平川克美    発行所:朝日新聞出版

読書年月:2017年7月

印象に残った言葉: そういう「ほとんど人が住んでいない」場所を作り出して、最大限にそれを活用しようというプランはもう官邸内部ではできてると思うよ。

・・・「汚染水による影響は完全にブロックされている」という首相の発言について書かれていました。ブロックされているとは当時から思っていませんでしたが、本日(2017年7月22日)のニュースで「燃料デブリ」のことが報道されています。東電会長による「汚染処理水を海へ放出」の発言を見ても、原発事故の問題が決して安心できるものなどではないということが分かります。

www.tokyo-np.co.jp

・・・本来、みんなでやることは正しいことだ、という思想が好きではない私でした。何か疑問があれば発言してしまう癖があり、そのせいか団体行動に馴染めない部分が若干あります。でも、この本を読んで、そういう人間が世の中にいてもいいのかなと思ったりいたしました。

・・・オリンピックのニュースは東京都知事関係でも報道されていますが、終わった後のことも考えていろいろな政策を行って頂ければなあと思っているところです。

・・・それにしても私の住んでいる市では市街地の空洞化がひどい。シャッター街が増え、にぎやかなのは周辺地域にある大規模店舗、スーパーなどになってしまいました。自家用車でないと買い物にも困るような状況です。昔ながらの商店街で、人々の会話が楽しかった時代はもうこないのでしょうか? オリンピックが終わったあと、結局喜んだのはゼネコンだけだった、庶民の暮らしは以前より悪くなった、ということにならないよう祈ります。

どアホノミクスの断末魔

著者:浜矩子      発行:株式会社KADOKAWA

読書年月:2017年7月

印象に残った言葉:戦後レジームから脱却して世界の真ん中で輝く。そのための改憲を実現する。これらのことを経営ビジョンとする大日本帝国会社。このビジョンを実現するための経営方針として、統合政府部門による意図的無責任財政の実現を目指す大日本帝国会社。

・・・タイトルがものすごかったので思わず買ってみた一冊。浜さんはTVでよく見る人で、「働き方改革は労働者の奴隷化」ということが書いてあったので興味深く読みました。

・・・経済成長はEUも日本も今後期待できないのではないか、という論説をこの前ある本で読んだばかりです。たしかにいろいろなことに希望が持てなくなっているような気がします。ただ、個人的には現在の生活には満足できているので、今後は健康に気をつけて無理のない仕事をすることが大事だと考えています。

属国民主主義論 この支配からいつ卒業できるのか

著者:内田樹白井聡      発行所:東洋経済新報社

読書年月:2017年7月

印象に残った言葉:市民的社会の指標は「器量が大きい」とか「胆力がある」とか「気が練れている」といった文学的な表現で語られるわけですから、数値化できない。でも、今の人はそういう「なんだかよくわからない指標」で人間を語ることがすごく厭みたいですね。客観性の高い査定を受けて、その結果を数値で示してもらいたいらしい。

・・・格付けは「同じこと」をやっている人間の頭数が多ければ多いほど精度が上がる、という記述があり、なるほどと思いました。多くの人が同じような領域に殺到するという現実。これでは独創的な研究は現れなくなるかも。

・・・いつでしたか、カラオケを数値で評価する番組を見たことがありましたが、あまり面白いとは思いませんでした。何と言いますか、人間らしい表現というようには聞こえず、テクニックを競っているだけのように聞こえたもので。

・・・今朝、久しぶりでFM放送を聴いていて思ったのですが、クラシック音楽の演奏で仕事することの価値が30年くらい前とはずいぶん変わったのではないかということ。「査定」を受ける場であるコンクールの数は多くなり、みんな何らかの賞を獲得しているイメージがありますが、その演奏が同じような感じのものになってはいないだろうか、と思います。以前は個性派の演奏家がたくさんいました。そしてそれをみんな楽しんでいたように思うのですが、現代ではコンクールが基本となっているかのようで(あるいは芸能人的なデビューなど)、本当に音楽を愛して演奏している人が少ないように思います。むしろアマチュアの方にそういう方向の奏者がいるのかも、と思ったりします。