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三國正樹の『読書記録』

今までに読んだ本の記録です。

ベートーヴェンの生涯

著者:青木やよひ      発行所:平凡社

読書年:2010年

印象に残った言葉: 巨匠は、機嫌よく十五歳の音楽家の卵にさまざまな話をした。その中で「芸術は休みなく後世に伝えていかなければならない」という励ましの言葉と、「民衆の声は神の声だと言われるが、私はそんなことは信じない」という言葉が、ヒラーの記憶に深く刻み込まれたのだった。

・・・当時のワイマルの宮廷楽長だったフンメルがベートーヴェン危篤の知らせを聞いてかけつけた時の話。フンメルは妻と弟子のフェルディナント・ヒラーを連れていったそうで、そのヒラーが会見の模様を書き残したということです。

ベートーヴェンの伝記は何冊も読みました。その中で、最新の情報が得られ、読みやすく感動的なのがこの本だと思います。他の研究書では、メイナード・ソロモン『ベートーヴェン(上・下)』、児島新『ベートーヴェン研究』、チャールズ・ローゼン『ベートーヴェンを“読む”』、石井宏『ベートーヴェンベートホーフェン  神話の終り』も印象的な本でした。

セイヤーの『ベートーヴェンの生涯』を読んだのは学生時代でした。素晴らしい著作でしたが、昔のことなので忘れてしまった部分もあります。もう一度この本を読み返してみたいと思っています。新たな発見があるかもしれません。このように、昔読んだ本を読み返すのも私にとって大事な仕事の一部と言えます。

クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか

著者:西島千尋      発行所:新曜社

読書年:2011年

印象に残った言葉:つまり、昭和初期のクラシック音楽受容の特徴には、「学問」として受容された側面と、「人格形成」の理想として受容された側面とがある。そしてこの両側面の基盤をなしているのが、教養主義であった。

・・・小・中学校の音楽の授業で行われる「鑑賞」が苦手でした。レコードを聴かされるのですが半数以上の人は寝ていたり、お喋りをしたりしている。そして感想を書かされる。その感想は先生の指導に沿ったものでなければならないというイメージが今でも残っているのですが、そんなことでいいのでしょうか。ベートーヴェン交響曲第5番を聴いた時に「苦悩を突き抜ければ歓喜に至る」というように感じなければならないのか、ということ。第1楽章を聴いて「なぜあのように同じリズムを繰り返すのかがわからない」などと書いたら先生に怒られそう。とは思いながら結構勝手なことを言ったり書いたりしていたのが私の少年時代だったように思います。ピアノを習っていながら音楽の成績がそれほど良くなかったこともあるのはその辺に原因があるのかもしれません。

・・・音楽の授業と言えば「創作(作曲法)」がほとんどなかったことも心外ではあります。小学校4年だったかで1回、中学校3年で1回習ったのですがそれだけ。あとはとにかく歌が多く、ときどきあった「器楽」はリコーダーでした。鍵盤ハーモニカは私のころはありません。偏っていませんかねぇ。

・・・「鑑賞」と「観賞」、「批評」はどう違うのか。さらに「鑑賞」は日本独特の考え方であって、それに相当する言葉は、英語にも他の言語にもないという指摘。明治以後に使われ始めたこの言葉の変遷をたどると、日本の「音楽科教育」はこれからどうあるべきかについて考えるきっかけになるという気がしています。

 

ショスタコーヴィチ ある生涯

著者:ローレル・E・ファーイ(藤岡啓介/佐々木千恵【訳】)   発行所:アルファベータ

読書年:2003年

印象に残った言葉:あるとき父の依頼を受けて、有名なピアニストで指揮者のアレクサンドル・シローティが、少年の演奏を聴くことを承諾したという。聴き終わってから、シローティはソフィヤにこっそりこう伝えたと言われている。「この子は成功しませんね。音楽的才能がありません。だが、どうしても彼が音楽家になりたいと言うなら…それはもちろん勉強させて、害にはなりませんけどね」。ショスタコーヴィチ本人の話では、このあと一晩中泣き通したという。両親はこれを哀れに思い、ロシア作曲界の大御所で、ペトログラード音楽院院長のアレクサンドル・グラズノフに息子を正式に引き合わせ、その権威ある評価を仰ごうと決心した。このグラズノフとの面会が、彼の人生における重大な節目となった。

・・・ショスタコーヴィチ室内楽作品を演奏するにあたって読んだ本です。ピアニストとしても優秀であった作曲家で、その作風は軽妙なもの、深刻なものとさまざまであり、なかなか理解できない作曲家でしたが、この本を読んである程度分かってきました。20世紀は芸術と政治の不幸な関係が目立った時代かと思いますが、特にソ連の芸術家の多大な苦労を感じました。

・・・ブログ開設後、ほぼ毎日投稿してきましたが、本日より大学の授業が始まる関係で、週1回(土曜日)の投稿としたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

都市は、発狂する。

著者:栗本慎一郎      発行所:光文社

読書年:1992年

印象に残った言葉:都市は、ムラに象徴される秩序の世界から押し出され、落ちこぼれた人間が流れつき、ホット胸をなでおろし、肩で息をつく場所なのだ。

・・・都市は「反文化」の場であるという考え方を興味深く読みました。私は鉄道が好きですが特に「駅」の文化が好きです。しかし最近の駅はどれもみな同じような形になってやや寂しい気がします。前橋駅など昔の駅舎がなくなって残念です(高架にするためなのでやむを得なかったとは思いますが)。

http://www.hirosegawamuseum.sakura.ne.jp/eki.html

それと、「光の都市」「闇の都市」という考え方。これもたいへん興味深く読みました。今までいろいろな所で生活しましたが、それぞれの都市の個性を思い出しています。

基本 音楽史

責任執筆者:千蔵八郎      発行所:音楽之友社

読書年:1977年

印象に残った言葉:このように,拍子のかぞえかたは,すべて3拍子を基本としているが,後述するアルス・ノヴァの時代になると,現在のように,偶数拍子を中心とする考え方に変わっていった。

・・・学生のころ購入した本です。音楽史の本は何冊か読みましたが、この本がまとまっていて読みやすい。とくに中世時代の音楽理論については、グラウト「西洋音楽史」とともに常に座右の書として参考にしています。

ところで、人間の手足の数から考えると2拍子が自然な拍子というように考えられますが、西洋音楽はなぜ3拍子が基本だったのか? この基本的な問いに対してずっと答が出せませんでしたが、最近になって「たぶんこういうことなのかも」という程度の考え方ができるようになってきました。大学の仕事「教員免許更新講習」にもこのあたりの内容を取り入れるようにしています。勉強は一生続けるもの。今後も音楽史上の疑問についてひとつひとつ取り組んでいきたいと思っています。

 

シューベルトの音符たち

著者:池辺晋一郎      発行所:音楽之友社

読書年:2007年

印象に残った言葉:とにかく、シューベルトの置かれた環境、その音楽への接しかたは、現代のアマチュアのそれに似ていると言っていい。そして一方、現代の作曲家である僕は、アマチュアの音楽活動が大好きで、アマチュアの合唱やオーケストラとしばしばつきあっている。音楽の神髄はアマチュアにある、と言明してはばからないほどなのである。シューベルトをうらやましいと言ったのは、それゆえだ。

・・・ベートーヴェンの32曲のピアノソナタを公開演奏したあと、次はシューベルトを研究してみようと思って「新・ピアノ音楽と19世紀」というリサイタル・シリーズを開始したのが昨年5月。しかし、第2回(おそらく来年の5月)は違う作曲家を取り上げます。シューベルトで演奏してみたいピアノ作品は限られてしまうことに気が付いたためです。ピアノソナタだと「ホ長調D459」「イ長調D664」「ホ短調D566」「嬰へ短調D571」ですが、D459は五楽章制をシューベルトが計画したのか疑問ですし、D566は二楽章として演奏する人もいます。D571は美しい主題を持つ名作と思われますが未完成で、補完して演奏する気にはなかなかなれません(自分一人で補完版を弾いて楽しむことはありますが)。

シューベルトの音楽は美しいと思います。ただ、気になる点がいくつかあります。まず転調が自然に聞こえない時があること(「さすらい人幻想曲」の第2楽章から第3楽章への転調、ピアノソナタD459の第5楽章の一部など)。そして拍節が分かりにくい時があること(「ピアノソナタ D959」の第1楽章第2主題の一部など) 。そして、ピアニスティックな演奏の喜びという点で他のロマン派作曲家にやや及ばないように思われること(そこが魅力とも言えますが)。そんなことから、シューベルトソナタを2曲演奏した段階でいったんお休みにし、来年はシューマンショパンの作品を予定することとしました。詳細はこれから考えます。

幻のピアニスト リヒテル

編者:小野光子・佐川吉男      発行所:朝日出版社

読書年:1989年

印象に残った言葉:つまり、リヒテル論でもいろいろいわれているにもかかわらず、私には、彼の特徴は”表現力”というより、楽譜にあるものの”純粋抽出のひたすらの努力”というふうに思われるのである。

・・・小野光子(てるこ)さんの「リヒテルと私」より。たしかにそのように感じられることもあるのですが、私はこういう、「楽譜に書いてあるものをその通りに表現する」ということは今一つわかりません。たぶん私の音楽的な教養が少ないからなのだろうと思っていますが、楽譜通りに演奏している、という人の演奏を聴いても「楽譜通り」とはとても聞こえないということもあるので、いったい「表現」とは何だろう、と思うことがよくあるのです。

この本はリヒテルの芸術についてさまざまな角度から述べられていて面白い本でした。特に宮沢明子さんの「リヒテルの不思議」で述べられている1963年の演奏会の様子が面白い。「まるで音楽界など無視しているかと言わんばかりの表情をした」リヒテルが開演時間を40分も遅らせた後で淡々とバッハ、シューマンを弾いていく姿。「謎(エニグマ)~甦るロシアの巨人」というDVDも見ましたが、確かにこの人は謎のピアニストかもしれません。ただ、原田英代さんがかつて雑誌「ショパン」に書いていたリヒテル論(2016年9月号)はなかなか素晴らしいもので、リヒテルの音楽観の一部を見た思いがしたことを思い出します。