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三國正樹の『読書記録』

今までに読んだ本の記録です。

著者:城山三郎    発行所:文藝春秋

読書年:2014年

印象に残った言葉:こうした文献を読み進むにつれて、わたしは、与野党を問わず、政治家の中に民衆が不在であるのを感じずには居られない。政治家は民衆を見ていない。政治家の心の中にも、頭の中にも、民衆はいない。

・・・副題は「 鈴木商店焼打ち事件」。TVドラマでも見ました。

マスコミの報道にも、政治家の言動にも「民主主義が分かっているのかな?」と思う時があります。「民衆とは操縦されるべきもの、利用すべきもの」という思想は昔からあったと思いますが、それは現代でも同じなのかも。最近の証人喚問などの騒ぎ方を見ていても何だか論点がずれているような報道ばかり。それに対して政治家もいちいちその論点のずれた報道に一喜一憂しているようで、もう少し泰然と国家のことを語ってもらいたいと思うことがあります。特に、感情的になる答弁は見たくないものですね。

ヒトはなぜ子育てに悩むのか

著者:正高信男    発行所:講談社

読書年:1996年

印象に残った言葉:「おとなはいろいろな音の組合せを使って声としているのだけれども、それぞれには異なるメッセージがこめられているらしい」という認識を持たせることが必要なのである。しかもそれを大人が自分たちの知識を使って子どもに教えこもうとするのは大変むずかしい。むしろ「教えよう」と身構えるよりは、子どもがおとなとおはなしを交わすことをまず楽しいと感じるように仕向けることが、はるかに効果的なように思われる。

・・・この本により「母親語」の効果を初めて知りました。乳幼児の学習に大きな効果があるそうです。そして「父親の発する母親語」の役割についても大変参考になりました。さらに、これが教育の基本的な部分のひとつであるということも。

・・・最近、街で小さな子供をみていて「かわいい」と思うことが多くなっています。若いころは自分の勉強にのみ打ち込んでいた私ですが、そろそろ人間らしくなってきたということでしょうか。一人の生活も長くなりましたが、家族の会話というのもいいものだろうなあ、と思うことの多い今日この頃です。

続 辞書にないことば 面白読本

編者:辞書にないことば研究会    発行所:主婦と生活社

読書年:1992年

印象に残った言葉: 都心の某有名ホテルでルームサービスを頼み(中略)「あのー、カレーライスには福神漬とか、何かついてないんでしょうか」「ご希望があれば、無料でお付けしています」(中略)「多分、忘れただけだよ。忘れたって言うと、マネージャーに言いつけられたりするから」(後略)

・・・使われる身にはそれなりの苦労があるというお話。この例とは離れますが、あるラーメン店であるお客が「この豚骨ラーメンにメンマが入っていないのはどういうことだ!」と店員を怒鳴っているのを目撃したことがあります。すると店員さん(たぶんバイト)が責任者を連れてきて「当店では基本的にメンマは入れておりませんので」と説明。とたんにその客が黙ってしまったということがありました。それまでの勢いとの差がありすぎて、人間の心理っていろいろだなあと思ったものです。

ポーランド・ウクライナ・バルト史

編者:伊東孝之  井内敏夫  中井和夫      発行所:山川出版社

読書年月:2016年12月

印象に残った言葉:一二六〇年~七四年のプルシ人の大蜂起の鎮圧後、内陸部の征圧が始まり、一二八三年にはプルシ全土の征圧が完了した。ドイツ人農民の活発な入植が続いた。こうして、十字軍運動の粋を結集したドイツ国家がヴィスワ川下流の右岸に成立した。彼らはプルシをドイツ語化してこの地をプロイセンと呼んだ。

・・・「カティンの森」という映画を見て、ポーランドの歴史を勉強してみたくなりました。まずはこの本から。ポーランドと言えばショパンを思い浮かべる人が多いでしょうが、オギンスキ(ポロネーズに佳作がある)の他、パデレフスキ(ピアニストとして首相になった人だが作曲家としても素晴らしい作品を残す)、モシュコフスキ、シマノフスキルトスワフスキグレツキ、タンスマンなどが重要だと思っています。ヴァイオリン曲を残したヴィエニャフスキも忘れることができません。

 

誰がヴァイオリンを殺したか

著者:石井宏    発行所:新潮社

読書年:2003年

印象に残った言葉:筆者はこのベルゴンツィ氏に対面する機会があった。話の中で私は「何人ものあなたの楽器の愛好家が日本にいるが、とりわけ、あなたの楽器の音色が気に入っているという人がいます。あなたご自身は自分の楽器の音色の特徴について作家としてどういう意見をお持ちですか」という意味のことをたずねた。すると彼は即座にこう言い放った。「あらゆるヴァイオリンには、固有の音色なんてありませんよ。ヴァイオリンから聞こえてくる音というのは、すべてその弾き手の音です。別の人が弾けば別の音がします」

・・・「現代のヴァイオリン奏者の音が貧しいのは彼らの感性が昔日のそれと同じではなくなっていることの証し」とそのあとに述べられていました。それが正しいかは置いておくとしても、現代はたしかに「音」について人間の感性が昔とは違ってきたことは確かでしょう。かつてヨーゼフ・シゲティが日本を訪れた時に、東京の街があまりに騒音に満ちているため耳栓をしていたという話もありました。この感覚は新潟県の中山間地で育った私にはよく分かります。父が教員として赴任した学校のあったその村は自然に恵まれた静かなところで、時々母が私を実家に連れていくとバスが通るたびに怖くて泣いていたという話でした。今でも夜は静かでないとよく眠れません。現代はいろいろなことが純粋な芸術心とは離れた時代になっていることを強く感じるのです。

語源のたのしみ

著者:岩淵悦太郎     発行所:河出書房新社

読書年:平成元年

印象に残った言葉:老獪――(ニ)わるがしこいこと。「老」は世慣れしていること、「獪」は悪がしいこと。世間の経験をたくさん積んで悪がしこいのが「老獪」である。「老獪なやり方」「老獪に立ち回る」「老獪ぶりを発揮する」のようにも使う。

・・・原書通りの引用です。ところでかつて自分の仕事ぶりのことを「わたしは老獪なのでああいう人間たちにはだまされない」と言っていた人がいました。こういう言い方をして大丈夫かなと思っていたところ、案の定その人はある事件に巻き込まれれ定年を待たずに退職することになってしまったのです。やはりこういう評価は他者によるものであって、自分から言うものではないのだな、と強く感じたものでした。

新訂 環境音楽

編著者: 苧坂良二    発行所:大日本図書

印象に残った言葉:音環境としては騒音汚染があってはならない。騒音とはのぞましくない音の総称で、美しい音楽でも、それを聞きたくない人にとっては騒音なのである。

・・・日本の街中に流される「音楽」は問題だらけだと思っています。今までに某バス会社、某鉄道会社に何度か投書(メール含む)をしたことがあり、そのたびに慇〇無〇な答弁をされて残念な思いをしたことちがありました。例えばバスの中で流される音楽(かならず最後に電子音のみの単旋律が登場)、駅のホーム階段付近で聴かされる不自然な鳥の声など。しかし、バスは最近時々しか乗りませんがどうも電子音はなくなったようですし、駅の変な鳥の声はいくぶん心地よいものに変わったと感じます(私はT駅で流されるものが不愉快だったので「T問屋町駅」の音のようなものにしてほしいと言った。しかし回答は「法律で決まっているから変更できません」とのこと。法律で決まっているのは「階段付近では視覚障害者のために鳥の鳴き声等を流すこと」というものだったはず。T駅で流されていた鳥の声が決まっていたわけではないと思うのですが。)この駅は1年くらいたってから変更されましたが、M駅やK駅はずっと同じだった。それが先日、久しぶりでM駅を利用したら変更されていて、「やればできるじゃないか」と思ったものです。今後も不必要な音楽および人工的で不快な音の濫用については、音楽を仕事とする立場から批判していくつもりです。