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三國正樹 『読書記録』

今までに読んだ本の記録です。

頭の切れる奴の とっさの詭弁術

著者: 増原良彦     発行所:KKベストセラーズ

読書年:1983年

印象に残った言葉: これが「ダブル・スタンダード」の哲学である。この哲学がないと教育などやっていけない。

・・・子供と大人では生き方が違う。こんな単純なことを分からないで躾も教育もできないでしょう。そんな単純なことを教えられました。たしかに「ダブル・スタンダード」と「ホンネとタテマエ」は違います。

裏と表から考えなさい 百人いれば百一答

著者:日下公人    発行所PHP研究所

読書年:2001年

印象に残った言葉:創造性にも初段、二段、三段というのをつけてはどうか。四段以上となると、もう創造性とは凡人には見えない。それは狂気と「紙一重」である。では、三段がつけられる創造性とはどういうものか。(中略)いずれにしても、人がすぐほめてくれるようでは大したことはない。初段か二段がその世界である。三段くらいになると、世間からの評価が当分お預けになる。

・・・「個性を生かした教育」などと言ってもなかなかそういう教育を見たことがないのはなぜか、という疑問を持ち続けています。これは日本独特の全体主義(?)が底流にあるからではないかという気もしますが、まあそれは置いて、この本はさまざまな疑問に対して胸のすくような解答が示されています。そして「マスコミの画一報道」という問題に対しても、「要は道徳ぶるということにその問題がある」と言っており、すべての言論や結論を道徳的な所に落とそうとしたがるため、と書いてあります。なるほどという感じがしました。もっといろいろな意見が出てそれを楽しむような風潮になってもよいのになあ、と思うことが今でもよくあります。

聴衆の誕生

著者:渡辺裕    発行所:春秋社

読書年:1989年

印象に残った言葉: かつて消費者は機能に対して代価を払って商品を買い求めた。しかし今や大概のものはもう買いそろえてしまって「機能」の点ではもはや何の不自由のない消費者たちは、ほかとは違うという「差異」に価値を感じて、そういう差異を表す記号として商品を買い求め、それらの記号が消費される。そして機能と無関係な部分が異常に肥大化してゆくというのが、消費社会の理論である。

・・・「演奏会文化」「聴衆」を考える時に忘れることのできない一冊です。確かに価値観は時代とともに変わる。そして現代は演奏会の存在意義が19世紀のものとは大きく変わっていると思います。伝統的なものを守るのも大切ですが、時代の価値観を見極めることも重要、ということを考えました。

クラシック音楽はなぜ<鑑賞>されるのか

著者:西島千尋     発行所:新曜社

読書年:2011年

印象に残った言葉:  音楽鑑賞教育は失敗であると言われ続けてきた。近年では、ブルデューの言う「文化資本」を持たない子どもたちに、クラシック音楽を押し付けたことが反省されるようになった。そのどちらも、子供たちがクラシック音楽を愛好しなかったということにもとづく反省である。だが、クラシック音楽を好きにならなかったということは、表面的な捉え方に過ぎない。ある程度の時間、身動きせず黙って音楽をきき続けるという行為を好きになれなかったと問うべきではないだろうか。

・・・クラシック音楽の演奏及び聴取方法には様々な約束事あるいはルールがあり、それが堅苦しくて嫌だという声はあるようです。実は私も、例えばショスタコーヴィチ交響曲第10番などを演奏会で聴くのはやや辛いものがあると思っておりますが(同じように長い曲でもブルックナーならたぶん大丈夫)、かと言って、短い曲なら良いというものでもありませんし、「クラシック音楽をもっとわかりやすく」という風潮、例えばしばしば行われる「お話と演奏」を演奏者が行う方法などについても懐疑的です。いずれにしても音楽は聴衆のためにあるべきなのであって、演奏家の自己満足のために存在するのではないことは確か。現代では多様になってきた鑑賞について、今後の芸術がどうなるのかとともに考えたいと思っています。

ポケット 世界名作事典

監修:渡辺一民     発行所:平凡社

読書年:2003年

印象に残った言葉:ところがそうした経験から生まれた文学への情熱ともいうべきものは、やがて社会のさまざまな抑圧によって圧殺されていく運命にある。まず最初に来るのが学校で、具体的には教科書としてあたえられるアンソロジーという形であらわれます。(中略)世間の良識と闘ってまで、自分の好むごく少数の読者しかもたぬ一編の詩、一冊の書物を守り通そうとするのは、凡人には至難の業なのです。

・・・「上から押し付けられる」鑑賞というものが昔から疑問でした。文学にはそれぞれの読者がそれぞれの鑑賞方法を持っているはず。その方法について一方的に教えられることでどれだけ素直な芸術心が失われることか。かくいう私も授業で音楽鑑賞についての話をするような立場にあるわけですが、できるだけ個人の自由な発想ができるように考えているつもりです。音楽の「鑑賞」については明日の話題でも取り上げる予定です。

小さな悪魔の背中の窪み

著者:竹内久美子    発行所:新潮社

読書年:1995年

印象に残った言葉: ある特定のHLAの型を持っている人は、それと相関の強い自己免疫病をなるべく発病しないよう(ということは、そのきっかけとなる病原体に出会わぬよう、あるいは何か発病を促すような状態に自分の体調をもっていかないよう)、行動などをコントロールさせられる。つまり、コントロールのための行動パターン、性格などがHLAと関連して進化してきているのではないのか。

・・・遺伝子、血液型などについて科学的な考察が述べられており、非常に興味深い内容でした。ある自分の行動について「なぜこういうことをしてしまうのかな」と思うことはあります。それが何らかの病原体を避けようとしているとしたら、生き物というのは大したものなんだなあ、と考えてしまいます。

臨機応答・変問自在

著者:森博嗣     発行所:集英社

読書年:2002年

印象に残った言葉:だから、大学生ともなれば、(理想をいえばであるが)大勢が一所に集まって授業を行う必要などなく、一人で好きな時に本を読み、調べ、自分のペースで学べば良い。同じレベルの他人との議論も大学なら可能である。教室の授業よりも、その方がはるかに効率が良い。

・・・人間は教えたがる動物である、と誰かの言葉にありましたが、勉強は自分で何かの興味を持って行う方が楽しいし、効率が良いのは確かです。大学は確かに「自分で何かを探す」勉強に適しており、私も学生時代に良い教師との出会いや友人との議論を通していろいろなことを学びました。この本を参考にして、担当している教養教育の授業で学生に「感想と質問」を提出させることを行っていますが、私にとっても楽しいことです。例えば「ベートーヴェンの時代は楽譜っていくらくらいしたんですか?」などという質問に答えるうちに、こちらもいろいろな資料を参照することになり、勉強って楽しい、ということをここ数年実感しています。