読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

三國正樹の『読書記録』

今までに読んだ本の記録です。

認知心理学を語る第1巻 おもしろ記憶のラボラトリー

編者: 森敏昭       発行所:北大路書房

読書年: 2002年

印象に残った言葉: 記憶の再構成的性質について一つだけ付け加えておきたいことがあります。それは記憶が基本的に再構成されるものであるとしても、いつでも好き勝手に書き直すことができるものではないということです。それが可能なほど私たちの自己が不安定であるとは思えません。また、もしも今の自分にとって都合のよいように記憶を書き直してばかりいたら、私たちはそもそも過去経験から学ぶということがなくなってしまうでしょう。たしかに記憶は書き換えられますし、時には「嘘をつく」かもしれません。しかしなかなか信頼に足るところもあるはずです。

・・・佐藤浩一氏による「自伝的記憶」より。いま現在の自己のありように応じて過去はかなり柔軟に書き換えられるということが書いてあります。心理学を勉強するのは本当に楽しいことだと思います。その他、森津太子氏による「記憶と対人認知」、山本利和氏による「場所の記憶」も興味深い内容でした。

子供の頃の記憶はどんどん忘れてしまいますが、人に言われて「おや、そんなことを私はしていたのか?」と思うことも多い。それに対して自分で覚えていることはどのくらい正確なのだろうか。例えば私が3歳くらいの頃、新潟県の米山駅の近くに住んでいたのですが、一日中海をじっと眺めていたという話を母親から聞きました。なぜ海を見ていたのか? それを確かめるために昨年冬、北陸新幹線経由でその町に行き、あることを確信しました。その話はまたいつか・・・

音楽キーワード事典

著者: 東川清一・平野昭    発行所:春秋社

読書年:1998年

印象に残った言葉:唸りに関連して重要なのは、二つの音のあいだの振動数の差が2であれば、それによって生ずる唸りも1秒につき2回生ずるということです。したがって440Hzの音の場合、442Hzとのあいだに秒速2、443Hzとのあいだに秒速3の唸りを生むことになります。したがってまた二つの音が完全なユニゾンをなすや否や、唸りは生じなくなるのです。

・・・音楽はその昔「リベラルアーツ」のひとつであり、立派な学問だったのですが、音「学」ではなく、音「楽」になったということをもっと知る必要があるのではないでしょうか。調律に関して演奏者は知る必要がありますし、できる限り、音合わせは自分で行うのが望ましいと思っています(チェンバロ奏者のように)。私が調律師を呼ぶときは主として整調・整音が目的でして、その作業を見ながらいろいろ学ぶのは楽しい。ピアノは1700年頃に作られ、現代までにいろいろな発達過程がありました。そういうことを勉強するのも演奏にとって有益であると考えています。

クラシックの聴き方が変わる本 テーマ別・名盤&裏名盤ガイド

編集人: 石井慎二    発行所:洋泉社

読書年:1998年

印象に残った言葉:オーケストラは、人間が一機能として全体に奉仕する巨大な社会システムのアナロジーでもある。ショスタコが、全体主義の恐怖をオーケストラを使った交響曲として書いたのは当然であった。故人の疎外を描き出すのに、暴君指揮者と大オーケストラを使うにしくはない(だから、作曲者が何を言おうと、ムラヴィンスキーレニングラード・フィルはショスタコの最高の演奏者だったのだ。その存在の仕方がすでに)。

・・・許光俊氏による「現役名指揮者とオーケストラの関係を叱る」より。「日本にいまだまともなオーケストラがないのは、この責任と権力が拡散している国においては、オーケストラ的権力構造が成り立ちえないことが一因である」という言葉もあります。なかなか考えさせられる考察ですね。私は室内楽だって「和気あいあい」で行うものなどではないと思っているので(連弾でもそれぞれの個性の表れがないと面白くない)、指揮者の存在意義が薄い演奏には批判的なのです。

 

日本語の21世紀のために

著者:丸谷才一  山崎正和         発行所:文藝春秋

読書年:2004年

印象に残った言葉: 私が最後の抵抗をしている具体例を一つ挙げますと、「更なる発展」というのは困る。だって、「更に」は、あれは形容動詞ではないんですね。

・・・日本語は時代とともに変化するというのは真理でしょうが、昨今のようにマスコミが日本語の乱れの元凶となっている状態は困ると思っています。この本で、川端康成も「見れる」を使っていたというなど面白い話がたくさんありました。

 

「心の専門家」はいらない

著者:小沢牧子    発行所:洋泉社

読書年:2003年

印象に残った言葉: 介護保険制度が二〇〇〇年四月に発足した。高齢者の話題に「ケア」というカタカナがつきまとうようになったのは、その一~二年前のあたりからである。九十歳を超えた年寄りと長年身近に暮らしてきたわたしは、その言葉が気になった。自分は決して使いたくない言葉だ。(中略)家事や気遣いはどんな暮らしにもつきもので、しかも関係は一方的なものではない。子供は手間ひまのかかる生き物だが、大人を笑わせ楽しませもすることを誰もが知っている。年寄りも同じだ。人間が老いて変化してゆくさまを知らずして、どうするのだろう。「ボケ」と言われるものも、一緒に暮らしていけば、何のことだか自然に見えてくる。変化のつながりや意味が見える。自分の現在とのつながりも見える。人の一生は面白いのだ。

・・・私も「心のケア」という言葉に常に違和感を感じている人間の一人ですが、この本を読んで胸のつかえが下りる気がしました。年寄りに対しては上記に同感ですが、一般に用いられる「心の教育」という言葉にも疑問を感じています。詳しくはこの本をぜひお読みいただきたいものです。

新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか

著者:上杉隆    発行所:PHP研究所

読書年:2013年

印象に残った言葉: そこで大切なのは、ある問題に対して正反対の二つの意見を見つける方法があるだろう。一つひとつの論点を吟味すること。「この点はこちらに賛成。しかし、この点についてはもう一方に賛成」といった具合に。(中略)一つの問題に対し、正反対の論説を並べる記事を「オプ=エド(オポジット・エディトリアル)というが、じつはいま、世界じゅうの新聞でこのオプ=エドが採用されている。(中略)残念ながら日本の新聞では、一つのメディアが異なる見解を同時に採り上げてはいけないという前近代的な規則があるため、それは実現されていない。さらにはディベート教育が十分に行われているとは言いがたく、そのような状況が重なって、日本人は自分と異なるものの見方をなかなか許容できなくなってしまったのだ。

・・・かつて担当していた授業でディベートを一部取り入れてみたことがありましたが、高校までに経験したことがある人とそうでない人の格差があり、あまりうまくいった思い出がありません。その後、「問題解決発表型」にしたらある程度改善されたと思っていますが、日本人の議論下手ということは依然としてあるように思います。それにしても新聞もテレビも同じような言説ばかりが多く、つまらない。この本を読むとその原因がある程度見えてきます。

新聞凋落! 10の理由

創刊人:蓮見清一      発行所:宝島社

読書年:2016年

印象に残った言葉: 私が「記者クラブ」の実態調査をした一昔前には、地方の記者クラブでも、会見のたびに弁当が支給されるのが当たり前だった。さらに、年に何回か役所の主催で宴会が開かれ、参加した記者たちは費用を払わないか、払ったとしてもごく一部というのが実態だった。このようなことが続くと、本来、ジャーナリストとして持っていた初心を忘れ、読者との関係よりの役所など取材先との関係を重視するようになってしまう。

・・・岩瀬達哉氏の文章です。実は昨年8月で新聞購読をやめました。忙しくてゆっくり読むひまがないというのが理由ですが、新聞記事が面白くなくなってきたなあ、というのも理由の一つでした。若いころはジャーナリズムに興味があった時期もありますが、今はさっぱり。ただ、現代の報道はこれからどうなるのだろう、ということをまじめに考えることもあります。明日もこの続きを。